ここ数年は絵や写真を全くやっていなかったので、自分の中の感情的な面をほとんど使っていなかった。アプリ作りに没頭していたからだ。
でもプログラミングばかりの生活は視野狭窄を招くし、やりたいことを我慢するのは精神衛生上よくない。
ふと、このまま俺はプログラミングばかりして死ぬのかと思うと何だかやるせなくなる自分がいることに気付いた。
だから、出来るだけ我慢しないことにした。
かの帝国ホテルやみずほ銀行の前身を創業した渋沢栄一の著書「論語と算盤」に好きな言葉がある。
それは「知情意」だ。すなわち知恵、情愛、意思の三つ巴。渋沢はこれらのバランスを保つことが大事だと説いている。
知恵ばかりに偏れば手段に溺れ薄情になり、情愛に偏れば一時の感情に流され短絡的になり、意思ばかり強くては単なる頑固者になってしまう。
過ぎたるは猶及ばざるが如し、だ。ちなみにこの言葉は辞書にも載っている。
プログラミングばかりしていると、知恵にばかり偏向してしまいがちな気がする。
コンセプトとしての意志や、ユーザに訴求する力としての情愛をもっと養いたい。というのはこじつけで、別に目的はなんでも構わない。
絵や写真・音楽は言わずもがな情愛を鍛えるのにとてもいいエクササイズだ。
ただ、傾倒しすぎると情緒不安定になったりするから注意なんだけど。
最近、頭の重さを感じる。重さとは、自分の中から「出たがっている」感覚だ。我慢して塞き止めている。
今まで抑え込んでいた、或いは気づかないふりをしていたものが刺激を受けて動き出した。
ちょっとずつ我慢するのをやめようと思う。ちょっとずつ出していく。
自分の中の「真ん中」を見つけるのが次のテーマかもしれない。
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