海外から学ぶ、アプリが育つレビューのありかた

iOSアプリやMacのアプリを個人で開発している者です。このエントリでは、これまでにレビューを書いていただいた経験から思う事を書きます。レビュワーの方の参考になればと思います。

論理的なレビュー

最近、ありがたいことに AppStorm さんや AppStudio さんなどの海外のレビューサイトに拙作のアプリがちょくちょく紹介されている。
そのレビューを読むと、明らかに日本のレビューとは異なる点がある事に気づく。
非常に論理的な点だ。概要から入り、使い方・いい点などを説明して、悪い点の指摘、更には改善に向けた意見まで書かれている。また、同類サービスとの比較考察なども入っていたりする。最後にまとめとして要点が短く書かれている。
そのボリュームは、さながら小論文のようだ。しっかりと読み応えのある文章なのである。
スクリーンショットは必要最小限にしか使われていない。

褒めちぎるレビュー

一方、日本のレビューサイトはどうだろうか。
良いモノを伝えたいという気持ちがこもっているためか、良い点、面白い点や凄い点に関する記述が中心で、短く端的にまとめられたものが多い。
スクリーンショットがふんだんに使われていて、実際に使っている様子を画面と共に説明するような構成。
利用のイメージがしやすい、わくわくする書き方が特徴だ。
神アプリ」という言葉が頻用されているように、とにかく良いところを伝える事に徹している。

読者に開発者が含まれている?

このような傾向の違いは、きっとポリシーの違いの表れだと思う。
レビューというものがそもそも誰に向けて、何のために書かれるものなのか。
日本のレビューサイトの多くは、アプリの使い手に向けて書かれている。
ユーザのスマートフォンライフ、パソコンライフがより楽しく、ひいては人生がより豊かになるように。
海外のレビューサイトは、その読者に「開発者」が含まれているのではないだろうか。
なぜなら、使い手にアプリの悪い点や必要改善点を伝えてもどうしようもないし、ダウンロードする気が失せるだけだからだ。

レビューが、不完全なアプリを助ける

アプリというものは結局おなじ人間が作るものであり、常に改善余地のある不完全なものだ。
アプリに関する率直な意見や問題点の指摘を、その背景も添えて具体的にしてくれるユーザさんは極めて稀少だ。
よっぽど困ったり熱狂しない限り、ユーザさんからはこちらに語りかけてはくれない。
海外のレビューは、そんなユーザさんのなかなか表に出ない気持ちを、裏表関係なく文字に書き起こしたものだと思う。

例えば、すごくいいコンセプトのアプリがあったとして、でも完成度でいえば10点のものがあった時。
開発者は、きっとどこをどう直したらいいのか分からなくて悩んでいる。
示唆に富んだレビューは、そんな開発者にとってとてつもなく大きなフィードバックになるだろう。
1つのレビューが、よちよち歩きのアプリを羽ばたかせる事だってあるかもしれない。

問題点の指摘 ≠ 悪口

クソだとかカスだとかそんな誹謗中傷は論外だが、必要改善点を指摘する事は開発者にとって失礼だと思っている人がいるならば、その人たちにそれは違うよと言いたい。
前述のように、開発者はいつだってユーザさんからの声を欲しているし、どんな些細な事でも改善の助けになる。
日本で、問題点の指摘まで言及するレビュワーさんが少ないのはとても勿体ない事だ。
開発者とレビュワーとユーザの三者が幸せになれるメディア。
そんな、開発者にも愛されるレビューサイトがあってもいいと思う。