カテゴリー: Diary
冷たい購入手続き問題
お金を払うという事について、一つ気づきを得た。
コンビニなどでのどんな小さな買い物でも、どんなに急いでても、レジでは出来る限りありがとうって言うようにしてる。
俺にとってお金を払うとは、単なる仮想的価値の目的物への変換作業ではなく、提供者への感謝の気持ちの表明およびその気持ちの交換だ。
別の言い方をすると、お金を払うとは、言葉通りの物品取引というプラマイゼロ・それっきりのやりとりではなく、そこから感謝や親しみ、そして関係が発生して続く生産的な行為だと考えている。
自分がサービスでのマネタイズ(お金を儲けること)を考えるとき、ずっと引っかかっていた事があった。
それは、PCやスマフォなどの端末での買い物全てにおいて、「ありがとう」を言う瞬間が無いって事。
それってすっげぇ切ないやん。ありえへん。
アプリを買うときの、なんとも言えない冷たい手続き感の原因はそこだった。
そうだな、この問題を「冷たい購入手続き問題」と勝手に呼ぶ事にしよう。
話は脱線するが、AppStoreのユーザレビュー欄はアプリ提供者との双方向性が皆無で、ユーザの片思いな気持ちが充満している。
いいレビューをして下さった方々に、こちらからお礼の一言も言い返せない。
不具合報告や要望を書いて下さった方々に、なんの見解も示せない。
ひどい作りだと思う。
Appleはコミュニティ運営の方法論をもっと勉強した方がいい。
閑話休題。この冷たい購入手続き問題は、時折課金方法に悪影響を及ぼす。
シンボリックな例を一つ挙げよう。
フリーミアムモデルにおいて、「ストレスポイント」をいかに効果的に設けるかという議論がよくなされる。
フリーミアムモデルとは、無料で使える部分と有料で使える部分を併せ持ったサービスのビジネスモデルのこと。
ストレスポイントとは、無料で使える部分の機能的制約によってユーザにストレスを与える方法、および制約対象の機能のこと。
代表例は、標準だと広告が表示されて、お金を払うと広告なしで使える、などが挙げられる。
このストレスを解消するためにお金を払うとき、我々は感謝の念を抱いているだろうか?
俺は、悔しさに似た気持ちをたまに自覚する。
なんて非生産的な課金方法なんだろう。
感謝を言う瞬間が無いって事は、先に述べた、お金を払う行為の意義が欠損する事ではない。
端末上での課金を主軸としたビジネスモデルでは、往々にしてお金を払う事に対する生産的側面が(意図せずとも)薄れ失われているように思えてならない。
もちろん、全てじゃない。
自分が端末で動くサービスを提供している以上、この冷たい購入手続き問題と向き合わなければならない。
何も具体的な答えは出てないし、失敗したり間違うかもしれないけど、設計理念は明確になった。
それは、感謝の気持ちをもってお金を気持ちよく出してもらえるような課金体系を作るって事だ。
当たり前っちゃそうなんだが、ブレる心配が無くなった。
ユーザ端末から貞子みたいに顔出してお礼言えたらいいのにね(こわい)。
at Machiya
荒川の河川敷で花火した。
虫の音を聴きながらまったりやる花火もなかなかいい。
町屋は都電が走っていた。
なんかの機会に乗ってみたい。目的地は、旅館で。
後輩が持ってた二眼レフ。覗かしてもろた。
パカッと開いたところ。
相変わらずええ趣味しとる。
羽衣ねぶた祭
ねぶた祭といえば青森のイメージが強かったけど、実は青森以外でも行われている事を知った。
羽衣ねぶた祭は、東京は立川の羽衣町で行われている祭。
人もそこそこでゆっくり楽しめた。
あと出店のクオリティが高い。全部美味い。
ねぶたは迫力があった。
これって毎年作ってるんだろうか。手作りで。
職人技ですな。
最後の写真は宝石すくい。
新しいwalknoteのアイコン
Visited to Kichimu
http://www.facebook.com/v/3602678673539
tobaccojuiceが好きで、松本敏将さんのパフォーマンスを一度見てみたくて。
キチムっていう原田郁子さんの作ったカフェでライブがあると知って、早速行ってきた。
先に演奏したTHE MICETEETHの次松大助さんは今まで知らなかったけど、クラシックでメルヘンな雰囲気の曲達で、まるで箱庭の中に入った気分になれた。
松本さんは思ってたよりもずっと自由だった。自由とは、理由が必要ないって事なんだって改めて思った。
数あるアートの中でも特に音楽や絵による表現は、今この瞬間を最大化する最高の手段だ。
凄いアーティストは、五感を通じて自分を取り巻く世界のエネルギーを感受して、特定の表現体系に変換する事に優れている。
脳科学者のジル・ボルト・テイラーは右脳についてこう語っている。
“右脳にとっては「現在」が全てです。「この場所 この瞬間」が全てです。右脳の意識を通してみると、私という存在は自分を取り巻くすべてのエネルギーと繋がった存在なのです。”
感受性の豊かさとは、自分の内なるエネルギーと外のエネルギーとの交換経路の太さなんだ。
そんな事をぼーっと考えながら、理由の要らない空間に身を委ねて過ごした。